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石清水八幡宮参拝後、八幡市駅まで戻ってからタクシーで水無瀬神宮へ向かいました。 ここに来たかったのよ〜。 水無瀬神宮は、もともと後鳥羽上皇の離宮があったところで、承久の乱で隠岐へ流されたあとも上皇はこの離宮を懐かしみ「水無瀬山 わがふるさとは荒れぬらん 籬(まがき)は野らと 人もかはで」と配流の地で歌を詠んだそうです。そして上皇は水無瀬信成へ追善供養を遺言し、その追善料として水無瀬、井内両庄を信成に与えて崩御。それから250年後、連歌の達人であった飯尾宗祇、牡丹花肖柏、宗長の三人が「水無瀬三吟百韻」を後鳥羽上皇の霊に献詠し、その連歌は格調高く名高いものですが、この神社の案内板には連歌の事が何も書いて無くて残念。 水無瀬神宮にはこうした小さな社もいくつかありました。これは「柿本人麻呂」を祭った「柿本神社」でご利益は「文学向上」なのだそうな。柿本神社というものを初めて見ましたが、近畿圏には割合とあるのでしょうか? 水無瀬神宮からの帰り道、島本駅まで10分ほど細く曲がりくねった道を歩きましたが、その道がかつての「西国街道」だったようです。京都から大阪へ行くには船かこの西国街道を行くしかなかったのでしょうね。 島本駅横の広場にあった「楠公父子決別の所」という石碑。あまりに大きな石碑で、つい寄ってしまったのですが、こういった史跡を見ると太平記の世界も身近に感じられます。やっぱり楠木正成はヒーローだったのね。 それからホテルへ帰ろうと島本駅で電車を待っていましたら、電車が来るお知らせメロディーにサントリーオールドのCMメロディが使われていました。近頃は発車のベルなどもその地に因んだ曲を流すところが増えましたね。蒲田駅ホームで「蒲田行進曲」を聞いたときには驚きましたが、いまではそれほど珍しくなくなりました。 |
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